Mighty lovers / MY FOOT
レビュー:Mighty lovers / MY FOOT
某動画共有サイトで「オサレ」「エロい」とやたらコメントが賑わっている曲。
でも私の中でのイメージはずっと、「男っぽい」曲という印象だった。
私はほとんど歌詞カードを見ながら聞かないので、歌詞や歌の内容は
耳で理解することがほとんどだ。
だからこの曲も、曲調やギターの音色、さわおさんのちょっとけだるそうな歌い方などから
勝手に男らしい雰囲気をイメージしていた。
そんな時、たまたま見つけたもく☆さんのブログでMY FOOTの感想を読んだ。
その中に Mighty lovers が「いろっぽい」でも「なぜかピロウズだと、かわいい感じ。」
と書かれてあって、そんな曲だったっけと思って歌詞を読んでみた。
http://mokuhoshi.blog.so-net.ne.jp/2006-01-13
なるほど、納得。
そういえば私も、曲の中にやたらとお洒落なキーワードが出てくるなーと
感じていたことを思い出した。
ピロウズにしては珍しく、「恋人と一緒に生活している僕」がリアルに
イメージできる曲だと思う。
もっと精神的な繋がりや、彼女への想いを歌った曲ならたくさんあるけど、
この曲は具体的な単語で2人の生活や関係性が想像できるので
やたらとドキドキする。
Tokyo Bambiも歌詞に彼女のことが出てくるけど、あれはさすがに
フィクションの部分、もしくは比喩表現もあると思う。
(実際に世界中のダイナマイトを誘爆させられたら確実に死ぬ)
なぜこの曲がこんなに心をくすぐるのかと言えば、それは山中さわおの持つ
男っぽさや、他の曲のイメージとの「ギャップ」じゃないのかな。
例えば、私の好きなアーティストでもある「L'arc~en~Ciel」のhyde。
彼が書く詩には、もっと淫靡で妖艶でセクシーな描写がごろごろ出てくる。
生々しくて刺激的なキーワードに悶えるファンも多いことだろう。
でもそれは、ある意味・・・ “当たり前”なのだ。
だって歌ってる本人が十分すぎるほどにセクシーなんだもん。
角刈りのマッチョな男がこぶしをきかせて大漁節を熱唱するようなものだ。
(例えがヒドいなー)
まぁ彼のすごい所は、そんな中でも常に魅力的で新しい世界観の詩を書き続けている
ところなんだけどそれを語るのはまた別の場所で。
一方、ふだんギターをガシガシかき鳴らしながら汗まみれで「アウイエー!!」て
叫んでる男の人に、こういう歌をたまに歌われるとドキッとするのだ。
男女関係において、時に異性の魅力を最大限に演出する「ギャップ」というものは
楽曲作りの世界においても強力な力を発揮すると思う。
(反対に、hydeみたいな人がもし「キミに会える理由を考えなきゃ♪」なんて
純情な歌を作ったとしたら、それはそれでかなり萌える)
そういう意味で、適度な過激さとキュートな印象が同居しているこの曲は、
ソングライター山中さわおの多面的な才能の表れであるとともに、
ファンにとってもたまにしか味わえない、嬉しい“刺激”なのだ。
ではここで、少し細かい考察を。
~オサレ(もしくはエロい)と言われる所以と思われる歌詞~
「下着のままでリンゴの皮を」
→歌い出しがいきなり「下着」。この時点ですでに他の曲とは一線を画している。
そしてこれはいつもタイミングの出来事なのか。コトの前なのか後なのかそれとも(略)
「甘そうなそいつをくれ」
→容易に想像できます。ソファーに腰掛けた「僕」の上にゆっくりとまたがって
リンゴを食べさせてあげる「彼女」の姿が。もはや口移しだったとしてもおかしくはない
「ネクタイしたまま眠る僕を見て」
「彼女はゲラゲラ笑ってる」
→これはピロウズの他の曲でもよく見られるパターン。
せわしない日常や社会の喧騒(もしくは彼女自身)に翻弄されてヘトヘトになっている僕と、
そんな事はおかまいなしにマイペースでちょっと勝気で、とびっきりキュートな彼女。
可愛い関係だ。
「ワインの栓が開かない週末」
→週末にワインを開けるのが習慣なのだとしたらかなりオサレと言えよう。
「ワインを飲まない週末」という単純な表現にしないところが好きだ。
「アンティークのスプーン」
→生活必需品ではない上に高価。しかもそれを磨いて過ごす週末。もうこれはオサレ以外の
何物でもない。
「1ダースのロケット見送って」
→これは何を表しているんだろう?わかる方がいたらぜひ教えて
「キャンドルを吹き消して ケーキを切ろう」
→パーティーか誕生日か記念日か。ひょっとしたら東京タワーをキャンドルに見立てて
なんてことも言い出しかねないよこのカップルなら。
「大きいサングラスの彼女は無言で誘ってる」
→最近のファッション雑誌を見ればわかるが、大きいサングラスはお洒落に見える。
外国のモデルやハリウッドスターがよくかけているようなイメージ。
しかも無言で誘うて。上級者だ。きっと視線や唇からはフェロモンビームが大放出
されていると想像できる。
「裸になってブランケットくるまっていよう」
→ここが一番リスナーを悶えさせたんじゃないか?あまりにストレートだ。
実際私もその光景を想像してしまって何故か顔が赤くなってしまった。
別に自分が純情なわけではないが、何度も言うようにさわおがこういう歌詞を
書くこと自体が(略)
「狭いベッド さあ眠ろう」
→もう何も言うことはありません。いつまでも眠り続けてくれ
外の世界なんて知らないでさ。
余談:歌詞を掲載してる大手サイトでは、この部分が「さあ踊ろう」になっている
ところが何社かある。なんでだ?さわおは間違いなく「眠ろう」と歌っている
はずなんだけど。
でもこの流れだったら「踊ろう」も意味深でいいなぁ。案外この2人の世界に
合ってたりして。
~全体を通して~
ふと思ったんだけど、この詞に出てくる二人称が「キミ」ではなく「彼女」である
ことが、大人っぽさを醸し出している原因のひとつかもしれない。
ラブラブな2人っきりの世界のことを歌っているはずなのに、
誰かに説明しているような、どこか他人行儀な語り口なのだ。
思うにこの曲は、彼女に向けて自分の気持ちを伝える歌ではなく、
自分の置かれている状況や彼女に振り回されている自分自身を客観的に認識し、
それすらも楽しんでいることをつぶやいている歌なんじゃないかと思う。
うーむ。 大人だ。
振り回される事をも楽しめる、大人の男の魅力。
なのにそんな僕は、全く逆らえないほど彼女にメロメロなのだ。少年のように。
この曲の世界にも、そういう「ギャップ」が存在しているような気がする。
・・・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・・・
どうでもいいおまけ
冒頭で「耳で内容を聴いていた」と書いたけど、たまに弊害がある。
「空耳」というやつだ。
ここまで書いた通り、とても素敵な世界の歌詞なのに私は
「下着のままでリンゴの皮を剥き~♪」
を
「下着のままでリンゴ農家は思いっきり~♪」
だと思っていた。
パンイチでリンゴを育てる農家。
意味がわからない。
思いっきり何をどうするつもりだったんだ。
小一時間自分を問い詰めたい。
やはり一度は歌詞カードを見ながら聴こうと思った。
あぅいぇ!
某動画共有サイトで「オサレ」「エロい」とやたらコメントが賑わっている曲。
でも私の中でのイメージはずっと、「男っぽい」曲という印象だった。
私はほとんど歌詞カードを見ながら聞かないので、歌詞や歌の内容は
耳で理解することがほとんどだ。
だからこの曲も、曲調やギターの音色、さわおさんのちょっとけだるそうな歌い方などから
勝手に男らしい雰囲気をイメージしていた。
そんな時、たまたま見つけたもく☆さんのブログでMY FOOTの感想を読んだ。
その中に Mighty lovers が「いろっぽい」でも「なぜかピロウズだと、かわいい感じ。」
と書かれてあって、そんな曲だったっけと思って歌詞を読んでみた。
http://mokuhoshi.blog.so-net.ne.jp/2006-01-13
なるほど、納得。
そういえば私も、曲の中にやたらとお洒落なキーワードが出てくるなーと
感じていたことを思い出した。
ピロウズにしては珍しく、「恋人と一緒に生活している僕」がリアルに
イメージできる曲だと思う。
もっと精神的な繋がりや、彼女への想いを歌った曲ならたくさんあるけど、
この曲は具体的な単語で2人の生活や関係性が想像できるので
やたらとドキドキする。
Tokyo Bambiも歌詞に彼女のことが出てくるけど、あれはさすがに
フィクションの部分、もしくは比喩表現もあると思う。
(実際に世界中のダイナマイトを誘爆させられたら確実に死ぬ)
なぜこの曲がこんなに心をくすぐるのかと言えば、それは山中さわおの持つ
男っぽさや、他の曲のイメージとの「ギャップ」じゃないのかな。
例えば、私の好きなアーティストでもある「L'arc~en~Ciel」のhyde。
彼が書く詩には、もっと淫靡で妖艶でセクシーな描写がごろごろ出てくる。
生々しくて刺激的なキーワードに悶えるファンも多いことだろう。
でもそれは、ある意味・・・ “当たり前”なのだ。
だって歌ってる本人が十分すぎるほどにセクシーなんだもん。
角刈りのマッチョな男がこぶしをきかせて大漁節を熱唱するようなものだ。
(例えがヒドいなー)
まぁ彼のすごい所は、そんな中でも常に魅力的で新しい世界観の詩を書き続けている
ところなんだけどそれを語るのはまた別の場所で。
一方、ふだんギターをガシガシかき鳴らしながら汗まみれで「アウイエー!!」て
叫んでる男の人に、こういう歌をたまに歌われるとドキッとするのだ。
男女関係において、時に異性の魅力を最大限に演出する「ギャップ」というものは
楽曲作りの世界においても強力な力を発揮すると思う。
(反対に、hydeみたいな人がもし「キミに会える理由を考えなきゃ♪」なんて
純情な歌を作ったとしたら、それはそれでかなり萌える)
そういう意味で、適度な過激さとキュートな印象が同居しているこの曲は、
ソングライター山中さわおの多面的な才能の表れであるとともに、
ファンにとってもたまにしか味わえない、嬉しい“刺激”なのだ。
ではここで、少し細かい考察を。
~オサレ(もしくはエロい)と言われる所以と思われる歌詞~
「下着のままでリンゴの皮を」
→歌い出しがいきなり「下着」。この時点ですでに他の曲とは一線を画している。
そしてこれはいつもタイミングの出来事なのか。コトの前なのか後なのかそれとも(略)
「甘そうなそいつをくれ」
→容易に想像できます。ソファーに腰掛けた「僕」の上にゆっくりとまたがって
リンゴを食べさせてあげる「彼女」の姿が。もはや口移しだったとしてもおかしくはない
「ネクタイしたまま眠る僕を見て」
「彼女はゲラゲラ笑ってる」
→これはピロウズの他の曲でもよく見られるパターン。
せわしない日常や社会の喧騒(もしくは彼女自身)に翻弄されてヘトヘトになっている僕と、
そんな事はおかまいなしにマイペースでちょっと勝気で、とびっきりキュートな彼女。
可愛い関係だ。
「ワインの栓が開かない週末」
→週末にワインを開けるのが習慣なのだとしたらかなりオサレと言えよう。
「ワインを飲まない週末」という単純な表現にしないところが好きだ。
「アンティークのスプーン」
→生活必需品ではない上に高価。しかもそれを磨いて過ごす週末。もうこれはオサレ以外の
何物でもない。
「1ダースのロケット見送って」
→これは何を表しているんだろう?わかる方がいたらぜひ教えて
「キャンドルを吹き消して ケーキを切ろう」
→パーティーか誕生日か記念日か。ひょっとしたら東京タワーをキャンドルに見立てて
なんてことも言い出しかねないよこのカップルなら。
「大きいサングラスの彼女は無言で誘ってる」
→最近のファッション雑誌を見ればわかるが、大きいサングラスはお洒落に見える。
外国のモデルやハリウッドスターがよくかけているようなイメージ。
しかも無言で誘うて。上級者だ。きっと視線や唇からはフェロモンビームが大放出
されていると想像できる。
「裸になってブランケットくるまっていよう」
→ここが一番リスナーを悶えさせたんじゃないか?あまりにストレートだ。
実際私もその光景を想像してしまって何故か顔が赤くなってしまった。
別に自分が純情なわけではないが、何度も言うようにさわおがこういう歌詞を
書くこと自体が(略)
「狭いベッド さあ眠ろう」
→もう何も言うことはありません。いつまでも眠り続けてくれ
外の世界なんて知らないでさ。
余談:歌詞を掲載してる大手サイトでは、この部分が「さあ踊ろう」になっている
ところが何社かある。なんでだ?さわおは間違いなく「眠ろう」と歌っている
はずなんだけど。
でもこの流れだったら「踊ろう」も意味深でいいなぁ。案外この2人の世界に
合ってたりして。
~全体を通して~
ふと思ったんだけど、この詞に出てくる二人称が「キミ」ではなく「彼女」である
ことが、大人っぽさを醸し出している原因のひとつかもしれない。
ラブラブな2人っきりの世界のことを歌っているはずなのに、
誰かに説明しているような、どこか他人行儀な語り口なのだ。
思うにこの曲は、彼女に向けて自分の気持ちを伝える歌ではなく、
自分の置かれている状況や彼女に振り回されている自分自身を客観的に認識し、
それすらも楽しんでいることをつぶやいている歌なんじゃないかと思う。
うーむ。 大人だ。
振り回される事をも楽しめる、大人の男の魅力。
なのにそんな僕は、全く逆らえないほど彼女にメロメロなのだ。少年のように。
この曲の世界にも、そういう「ギャップ」が存在しているような気がする。
・・・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・+・・・
どうでもいいおまけ
冒頭で「耳で内容を聴いていた」と書いたけど、たまに弊害がある。
「空耳」というやつだ。
ここまで書いた通り、とても素敵な世界の歌詞なのに私は
「下着のままでリンゴの皮を剥き~♪」
を
「下着のままでリンゴ農家は思いっきり~♪」
だと思っていた。
パンイチでリンゴを育てる農家。
意味がわからない。
思いっきり何をどうするつもりだったんだ。
小一時間自分を問い詰めたい。
やはり一度は歌詞カードを見ながら聴こうと思った。
あぅいぇ!
by feelin-groovy | 2009-07-01 20:25 | 曲のレビュー